私と音楽との出会い
子供の頃、音楽の好きだった父がレコードを聴くため、家には蓄音機がありました。もちろん、幼い私にはクラシック音楽や映画音楽は分からず、周りの大人たちに「子供の音楽をかけて」と童謡をせがんだものでした。
ギターと私
中学生の頃、あるテレビ番組を見ていた時に登場人物が弾いていた楽器が気に入り、兄に「バイオリンを習いたい!」と言うと「お前、あれはギターだ。」と言われギター教室に通う事に…。向島でレコード店を経営していた父の友人が店の2階で丁度ギター教室を開いており、溝淵浩五郎氏 門下生の星野先生にギターを教えて頂く事になりました。写真のギターは野上三郎氏に依頼して製作していただいたもの。高校を 卒業したての苦学中、全財産を使ってしまいました…。何しろ当時の高卒の初任給が1万 8000円。このギターは8万円でしたから、私としては 大変な買い物でした!!
当時のレッスン風景
今は音楽の個人レッスンと言うと、先生と生徒がきちんと時間、曜日を決めて行うものですが、当時は教室に来た順でした。平均で1時間から1時間半は待つのが当たり前。でも、他の生徒がレッスンを受けているのを観るのも勉強になり楽しく、待ち時間も あっという間に過ぎてしまいました。時には練習をして来なかった生徒が 先生から「先週と同じ事を教えたくないから、今日は終わります。練習してから来なさい。」と、厳しい場面も… しかし、人前でそんな事を言われてもみんなへっちゃらな時代でした。自分のレッスンが終わった後も最後の のレッスンが終わるまで熱心に聴いて刺激を受ける猛烈生徒が何人かいて、帰りは先生を囲んでラーメンを食べ ながらの音楽談義も、何から何まで高校生の私にとって楽しいものでした。
ミニヨンのおばあちゃん
東京のあるギター音楽院で資格を得て、ギター講師を始めた頃、友人の鶴さんと当時あちこちにあった音楽喫茶の情報を 交換していました。新宿、高田の馬場、荻窪、阿佐ヶ谷、池袋、御茶ノ水などなど…。鶴さんから「荻窪にミニヨンっていう すごい音楽喫茶があるよ。」と聞いて行ってみると、何千枚ものレコード!毎月30枚くらい新しいレコードを買い込 んでいたようです。リクエストしたい曲はノートに書き込み、かかるの待ちます。長い曲をリクエストすると、そこのおば あちゃん、ちょっと嫌な顔をするんですけど、一応かけてくれました。結婚して茨城に住むようになり、ミニヨンにあまり 行けなくなりましたが、「ミニヨンのおばあちゃん(当時、今の私よりお若かったのですから、おばあちゃんなんて呼ぶの は失礼なのですが、親しみを込めてそう呼ばせてもらいます。)どうしているかね。」と、よく家内と話していました。 ところが、2005年10月3日の読売新聞夕刊に「東京の喫茶店文化を担ってきた一人とも言える女性が今年4月、95歳を 目前に亡くなった。」という死亡記事。写真は懐かしいあのミニヨンのおばあちゃんではありませんか!ああ、最近まで 生きておられたんだ…。家内とは婚約時代に一度、結婚してからもう一度、一緒に行った事があります。かなりお年を 召しておられましたが、お元気に店を切り盛りしておられる様子。「若い頃、よくここにきたんですよ。」とおばあちゃんに 話かけると、覚えて下さっていました。その新聞記事には 「80年代に入ると、客足が落ち始め(中略)店員の小林 真理子さんに『もうダメかな』と漏らすようになった。それでもやめなかったのは、(中略)東京を離れた客たちが10年、 20年ぶりにひょっこり顔を出すことがあったからだ。『久しぶりに帰ってきて店がなくなってたら、がっかりするから ねえ』」と書かれていました。『久しぶりに帰ってきてくれる客たち』の中に私たちも入っていた事に嬉しさを感じました。たまにしか 来ない私達の様な客の事を思ってまで、お店を守っていて下さり有難うございました。
原田力男さんとの出会い
…あれこれ
ピアノ調律師になろう等と考えていなかった二十歳の頃、ピアノと作曲の勉強も始め、電話帳を見て「原田さん」と言う調律師の方に調律を依頼しました。最初は実家のあった浅草の方へ、 小さなピアノ教室を始めてからは千葉の習志野の方へ年に2回、来て頂いておりました。5,6年 来て頂いていたと記憶しております。結婚してから妻には何度か原田さんの話をしていましたが、 ある日妻から「あなたの所に調律に来てくださっていた原田さんってこの方?」と新聞の記事を見せ られました。大きな写真が出ており、亡くなられたとの事でしたが、そうですあの原田さんだったのです。50代という若さで亡くなられ、大変残念です。その記事を見て、 原田さんが調律の仕事をしながら、坂本龍一さんらを始めとして才能のある若い音楽家たちを発掘していた事を 知りました。妻いわく「なぜあなたは発掘されなかったのかしら!?」今思うと原田さんと同じ調律師の道を歩んでいる という事に不思議な感じがしますが、原田さんの仕事ぶりから学べた事は沢山あり、今それが生かされている事に 感謝の念がつのります。
私の好きな作曲家
バロックから現代まで嫌いな作曲家は殆どいませんが、特にベートーベン、モーツァルト、バッハ、ショスタコーヴィチ、バルトーク、等々。 若い頃から今の年に至るまで、彼らの音楽から多くの力をもらいました。 たとえばベートーベンのバイオリン・ソナタの多くやピアノ・ソナタの多くを聴くと、白く浮かぶ雲・鳥のさえずり・ 小川のせせらぎがわたしには聞こえてきます。苦難の中にあっても素直さを失わなかったのはなぜでしょう。 考える糧を与えてくれています。
我が家の秘蔵っ子
我が家の秘蔵っ子はこの記事を書いている時点('07/3月)で生後8ヶ月。とにかくいつもにぎやかであるし、語彙も多い。"おはよー!"
"おやすみなさい""おいしい~!""久しぶりね"など。「8ヶ月でそんなにしゃべる子はいない」ですって?そうですよね。 実は我が家の秘蔵っ子はセキセイインコのLALA君なのです。昨年(2006年)7月生まれらしいのですが、生後3週間ほどで我が家にやってきました。 おしゃべりしてくれるインコなのかどうなのか、分からなかったのですが、一生懸命話かけた甲斐があってか、ある日突然大きな声で話し始めました。 せっかく話ができる能力があるのなら良い言葉を教えようと、かの有名なHoly Scripturesからの一節を教えました。「あい、よろこび、へいわ、しんぼ~づよさ」彼は懸命に覚え,得意げに繰り返します。では、つぎはJames1:19に挑戦です。「すべての人は聞くことに速く、語ることに遅く、憤ることに遅くあるべきです。」これもクリアしました。しかし、「オウム返し」という言葉がありますが、どうもそうではないようです。自分でどんどんアレンジして勝手なことを 言い始めます。「すべての人は聞くことに
遅く、語ることに
速く、憤ることに
速くあるべきです。」あ~、それは逆だって!しかし、インコに会話の能力はあるのでしょうか?「そろそろ、出かけるか。」と私が言ったときに「いってらっしゃ~い!」とタイミングよく返事が返って来たときは爆笑でした。「Lala君はおせんべいがだ~い好き!」と単語だけでなく確かに文章も語りました。野球の実況中継を覚えてしまったインコもいるとか…。あの豆粒のような脳でこんなにすごい能力があるなんて驚きです。残念ながら我が家には人間の子はおりませんが小鳥にこんな能力があるのなら、人間の子はどの子もみんなすばらしい脳の持ち主の筈。子育て中のみなさん、子供が小さな時から是非、良い本を読んであげ、良い音楽を聞かせ、お子さんの感性を磨いてあげてください。
インターネット―思い出をたどって
20代の頃の思い出…、阿佐ヶ谷のギター音楽院、ミニヨン、野上三朗さん、思い出していたら無性に懐かしくなってきました。みんなどうしているんだろう。…そうだ、今はインターネットという便利な道具があるではないか!ということである日、懐かしい思い出探しというか、消息を訪ねてインターネットの旅に出ることにしました。30分ぐらいでしたが…。あっ、ありました。野上さんのサイトが。お元気に活躍しておられるご様子。懐かしいミニヨンも写真入りでホームページがありました。インターネット、昨今問題もありますが、使い方次第で何十年も昔の〝知り合い"たち(勝手にこちらがそう思っているだけなのすが…。)に瞬時に会えるなんて、なんと便利な道具!! 不思議な気持ちになりました。
佐川鮎子先生の記事が”THE SAX"に掲載
6月9日、調律のお客様であるサックスの佐川鮎子先生のコンサートに行ってまいりました。文京シビックホールで行われました。ラフマニノフ…、サックスでの演奏を楽しませていただきました。その後、佐川先生の記事がアルソ出版社から出ている"THE SAX"vol 23に掲載されました。若い頃から本当に音楽がお好きだったご様子。人生の早い時期にどんな人になりたいのか、何をしたいのか、憧れがあって目標があるっていいですよね。格差社会とか引きこもりとか今の若い人たちを取り巻く環境、大変だと思いますが、こんな世の中でも、健全で楽しいものが探せばある筈。若い皆さん、一度しかない人生、本当に良いものを見出して下さい!
荻窪、阿佐ヶ谷、駒込
ー20代の頃へタイムトリップ
インターネットで昔懐かしい、かかわりのあったお店や人々の事を見ていたら無性に荻窪のミニヨンに行きたくなりました。阿佐ヶ谷には20代の頃働いていたギターの音楽院がありましたし、駒込にも分院があったのでのでそこにも立ち寄ってみましたが、そこはすっかり変わってしまっていました。音楽院の仲間の先生たちが住んでいた、通称"チベット"と呼ばれていたアパートもなくなっていました。でも、ミニヨンはほとんど昔のままです。レーコードのコレクションはやはりすごい !! 昔の店舗は線路の向こう側の"月光堂"というレコード屋さんの前にありましたが、そのレコード屋さんも健在!懐かしかったのでそのお店にも入ってきました。当時の店主さんが今でもお元気そうに働いておられて音楽好きのお客さんたちとなにやら音楽談義。店内でかかっているレコードもなんと今はめったにお目にかかる事の出来ない"真空管アンプ"で。どうぞ、皆さんも"昭和"に行きたくなったら荻窪の"ミニヨン"や"月光堂"に出かけてみて下さい。(写真はミニヨンにて)
岡野ピアノ教室発表会
本日(’08 4月27日)はつくば市のノバホールで岡野先生の教室の発表会。ノバホールにはヤマハ、スタインウェイ、ベーゼンドルファーの3台が置かれていますが、私が請け負ったこれまでの発表会、コンサート、その他のイベントではいつもスタインウェイが使用されてきました。午前9時半、調律開始。全体のバランスの中で低音部が狂っていましたが、そこに特に神経を使い、全体を正確に合わせること約1時間。岡野先生から「高音部もよく鳴るようになりました!」との感想。スタインウェイは癖がなく、ドビッシーによし、ベートーベンによし、ショパンにもいい。バランスがよく、豊かに鳴る楽器。うぅーん、実にすばらしい!! 今日は高音部によく歌ってもらうためには高音部をいじるという事だけでは不十分、全体のバランスがいかに大切か基本的な事ですが、今更ながらそのとおりだとつくづく感じた日でした。
絶対音感
最近、調律をなさったお客様から興味深いご報告を頂きました。 6歳の男のお子さんと5歳の女のお子さんのおられるお父様からのメールで「お子さんたちに絶対音感が付いて来た様だ」というお便りでした。
お父さんが適当に音をならし、奥様とお子さんたちに階名で答えてもらうと、お子さんたちは常に正解、奥様は半音上の音を答えられたそうです。 奥様は音程の下がったピアノの音に慣れてしまっていたせいかも知れないとの事…。
このお父様は絶対音感とは特別な才能のある人や、かなり音楽をやり込んだ人が身に付けられるものと思っておられたそうですが、お子様たちに絶対音感が身に付いてきて認識を新たにされ、ますます正しい音程でピアノを調律しておくことの大切さを感じられたそうです。
震災
かなり久しぶりに"工房あれこれ"を更新します。
今年は3月11日に起きた大震災で、歴史に残る悲惨な出来事を経験してしまいました。震災に際してご親族を亡くされた方々、また、被災された皆さまにお見舞い申し上げます。
我が家でも、妻が福島県出身なので、震災直後、親族が5人程、当家に身を寄せていました。その他の親族は流山の避難所や、牛久市の福祉センターにお世話になりました。大勢のボランティアの皆様にお世話になりました事も御礼申し上げます。
本当に未曾有の大震災に突如見舞われ、一瞬にして多くの方々の人生が変わってしまいました。私たち人間は大自然を前にしては本当に無力です。今も避難所に暮らす皆さまが一日も早く生活を再建出来ますように願わずにはいられません。また、皆様が真の希望を見出されます様お祈り申し上げます。
牛久一中、金賞受賞
今年は牛久市内の小中学校から調律の依頼を多数お受けしております。最近開催されたNHK学校音楽コンクール中学校の部で牛久一中混声合唱団が金賞を受賞され、指導にあたられている皆川先生から連絡を頂きました。牛久一中混声合唱団の合唱が8月29日(月)NHK茨城県域「ニュースワイド茨城」で生中継されます。時間は18:10からです。ぜひ、ご視聴下さい。
2011年8月25日(木)
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